皆様ごきげんよう
ケシ―です
私たちは
いつも”意味”を求める
人が、言葉を操り始めてから
感覚で受け取ったものに
直ちに、言語化し意味をつける制限を
自分たちではじめた
言葉は=意味
私たちの生活は”意味”に
制限されるようになった
これに関して
戦前の大小説家
山月記を描いた中島敦さんという方は
こう書いている
「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ
精神ヲ痲痺セシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」
文字の害は人間の頭脳を犯し
精神を麻痺させる
だからといって
私たちは言葉を使う事を
辞める事はできない
だから、意識して
”無意味”に意識を向けて
みませんか?
臭いな、って思った時
私たちは
匂う前には、匂いが無かったという事を
いつも忘れる
私たちは文字の制限を
意味の制限を受けているから
変化に意識が支配され
変化がなかった時の事は消えていく
そのゆらぎを全て包括するものが
愛だとしたら
変化や意味ばかりを追い求める事を
たまには辞めて
ただただそこに”ある”
感覚、空間、世界に
意識を向けてみて欲しい
意味のない
役に立たない
食べられない
使えない草を
雑草と呼ぶ
ちゃんと名前がある
ちゃんと生きている
無意味でも良い
役に立ってなくても良い
それを知り、受け入れ
そして、その時々の好みで
好きな方を選ぶ
こういう”感覚”を
大切にしてみる
効率効率の生活は
雨は降らず
気温は一定で
1年中明るくて
確かに便利だけど
私たちは時に
山を歩き
自然を楽しみ
川で遊ぶ
それは、私たちの無意識が
”無意味”の崇高さを
理解しているから
それにさえ
リフレッシュとか
リラックスとか
森林浴とか
なんとかイオン効果とか
意味を付けようとする
意味なんてない
意味なんてないけど
それが”良い”
それだけ
そこで止まってみて欲しい
すると、向こうから無限の
何かがやってくる
意味を追求しない
意味がないから
結婚しない
意味がないから
タバコをやめる
意味がないから
障害者は安楽死させろ
意味がないから
なになに人は殺せ
これは、ナチスがやったこと
意味の最果ては
ここに行き着くんだよ
だから、意味を手放して
言葉さえも手放して
ただただ
許す、全て許す
本当に子どもは神様です
無意味な事をずっと
全力で楽しんでやっている
そんな子供の様な瞬間を
1秒でも1分でも
時々思い立った時にで良いから
持ってみることで
物凄く平穏で穏やかで
無意味だけど凄まじく素晴らしい
許しと愛に満ちた人生が
向こうからやってくる
そして、その
愛の波動に合わせた背景に
人生が一気に変わっていく
無意味を許す
役立たずを許す
ただただ好きな方を
自分から能動的に選ぶだけ
どうか、意味に支配されないで
あなたの愛をどうかこの世界に
愛を込めておやすみ
響月ケシー
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