今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
人間に必要なのは
愛なのかお金なのか
という議論は多くなされますよね。
で、愛の中にお金は内包されるとか
お金は1つの愛情表現とか
そういう話は色々ありますが
二択の場合なら
どちらが必要か?
というお話で
今回は進めていきたいと
思っています
で、結論は
“愛である、少なくとも幼少期は“
という事を実証したとされる
実験があるので
その話をしたいと思います
これは、当時倫理的には
非常にまずい実験だったのですが
猿の子供を母猿と分離させ
① 針金と木で出来ているが
母乳が出る代理母猿
と
② 柔らかい毛布と適度な温度のある
母乳のでない代理母猿
とがいるケージの中に
閉じ込めた時
どちらの母を必要とするか
という実験をしたんですね
そもそもこの実験を行った
ハリーハーローという学者は
“母親というのは、生命を維持させる機能として
子供にとって重要であるに過ぎないので
母乳が出る代理母の方に
強い執着を持つはずだ“
という前提のもとにこの実験を
行ったが
結果的にはその子猿は
ほとんどの時間を
温かい毛布の代理母を選び
お腹が空いたと泣いていた様です
いわゆる生存欲求よりも
愛着や安心への欲求が凌駕するという
1つの証明として
とても有名な実験です
けど、私たちは
どこかのタイミングで
この“鉄の代理母“の方を
優先する思考にすり替わっていきます
安心や愛着や安全よりも
食事が供給されることの方を
優先していくように変化していく
大人はもう自己責任だから
良いとして
子供はどうか?
肩書きがあること
名誉があること
収入があること
を遥か凌駕するほどの
“人としての暖かさの
基本的な必要“に
私たちは常に
気付いているだろうか
自分の無力感に恐怖するあまり
子供に、この子猿にとっての
鉄の代理母を用意するような選択を
してしまってはいないだろうか
結婚制度の落ち度について
語るつもりはないが
あまりにいびつな夫婦の話を
最近本当によく聞くので
こういう事を少し
話してみたくなった。
響月ケシー