今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
動画でも話したのですが
母親に関する驚愕の事実が
色々出てきていて
びっくりはしていますが
実はあんまり
落ち込んではないんですね
というのも
ショックではありましたし
あーと思う瞬間はありますが
ふかーいところで
別にあんまり自分の人生には
関係ないとも思ってるんですよね
(それは興味ないという意味ではなく
影響がないという意味で)
色々精神世界の中で
常に“母親“というのは
すごい悪役になりがちですが
私はこれにすごく
やっぱりどこまで行っても
違和感があるんですね
いや、母親の在り方や生き方が
自分の人生にすごく
大きな影響を与えていることは
否定しないです
私も
自分のこういうところは
きっとああいう
境遇からきてるな
とか分析する事はあります
けど、それって単純な
役割にすぎないわけで。
母親をどうにかすることで
(それは現実的であっても
脳内だけであっても)
自分の人生を開こうとする
その方法論自体がなんだか
依存的な世界観に
感じられてしまうんですよね
私は、そんな事は
全く微塵もしなくても良い
と思っていて
そんな事よりも
そんな事では別に落ち込まない
自分の世界の純度を
高めていく事が重要で
むしろ事実としては
親がどんな親であっても
今ここから毎日ゼロスタートで
自分の人生を作ったらいい
というだけの話なんだと
思っているんですよね
ってなるとやっぱり
敢えて“親“というコンテンツに
あまり触れない方が
逆に良いかな、とも思います
けど、敢えて
そういうルートを通りたかった
そういう目線で見たかった
という、砂つぶの数を数えるような
人間の次元では理解し切ることのできない
大いなる目的が私たちにはあって
それ(その親)を
選んできているのであるから
だとしたら今ここにある
ネガティブだと呼ばれる感情も
それ自体も
それで良いっていう事だよな?
という深い納得のもとで
観察していくほか
何もすることは無いです
けどこの
“とある深い納得“が
得られている状態であれば
どんな目の前でくり広げられる情報も
すごくクリアな目線で
見つめていけると思うんですね
だから本当に
“今自分がどうあるか”
に全てがある
だから、私最近色々
親コンテンツ書いてますけど
基本的には
親と向き合うべき、とかは
一切思ってないですし
必要もないと思ってます
(分析して“見ておく“のは
良いと思うけど対処は必要ないです)
逆に、そこに原因や何かの理由を
求めてしまうと
すごく足元が重たくなります
だから、いつも視点は
“自分に“
自分は、どうするの?
あなたは、どうする?
私は、どうする。
ね♡
響月ケシー