ケシーです
他人、って誰でしょうね
私の中で他人というのは
私以外の全ての人です
親、子供、全員
他人です
彼らは自由です
そして、自分が自由で生きるからには
彼らの自由を守るということが
当然フェアな考え方です
フェアであることは
とても重要です
例えば私は
自分の好きなことをやって
自分で稼いでいける事って幸せ
と思っています
けど
だからあなたもそうなりなさい
って言いません
そうなりたい、という人には
そうなるには、という多少の
アドバイスはできるかもしれません
けど
あなたはあなたでいていい。
このリスペクトが
他人にできない人は
永遠に自由にはなれないと
私は思います
だから、例えばえーせーが
僕は安定していたいから公務員になる
と言えば
そうか、君はそうなのか
と、二つ返事でOKしなくては
いけません
僕は、働きたくないから
投資で食っていくんだ
でも
僕は、女の子にモテたいから
ロックスターになるんだ
でも
あなたはそれでいい
と言えない人は
自由になろうとしては
いけません
あなたが、本当のあなたが
あなたにそれを許すなら
どうぞ、そうあってください
そう言える自分で常にいたいのです
他人を自分の価値観で縛る
ということは
同時に自分自身も
他人や社会の価値観で縛られても
文句は言えない
ということなのです
けど
自分は自由にやるけど
自分の周りの人は
自由でいてはいけない
これ、無意識のうちに
やっちゃってる人
めっちゃ多いと思います
自分が自由であるために
あなたが自由すぎるのは困る
とか
何なら
この自由は良いけど
この自由はダメ
とかね
あなたが自由でいたいなら
他のすべての人も自由です
あなた以外の誰も
あなたを縛れないし
彼ら以外の誰も
彼らを縛ってはいけないのです
そして私が言いたいのは
それでも、大丈夫なんだよ。
ということなのです
心配しなくても
事前に考えすぎなくても
全部、大丈夫だよ
麻のように
しなやかに
伸びやかに
朗らかに
響月ケシー
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