ケシーです
先日、フィリピンの路上で
虹色の噴水と周りで
虹色の噴水が噴き出す光の玉を持って
子供達が遊んでいて
私と子供達と家族も混ざる
というなんとも心地の良い夢を見たら
すごい、ありがたいことが起きました
夢が先、とマドモアゼル愛先生が
おっしゃっていたのもあって
夢日記つけていますが
やればやるほど
不思議な現実世界との因果関係を
感じずにはいられないですね
さて、話は変わりますが
感謝を100万回唱えましょうって
ありますよね
あれって逃げです
もちろん感謝は重要なのですが
まるで
感謝する“だけ“で
たった感謝する“だけ“で
幸せになれるとか
そういうムードになぜか
表現されます
元も子もない話かもしれませんが
“本当に感謝“しないと
大した意味はないですし
実は“感謝する“ということは
非常に技術的だったり
能力的な素養が必要とされるのですよ
アプローチは2つありまして
感謝せざるを得ない状況に
自分を追い込むというやり方
一時期流行りましたが
自分の好きなようにする事で
沸き起こる感謝を
感じましょう、という
アプローチです
これは確かにそうなのですが
実際は
ものすごく説明能力が必要なのです
というのも
なんの説明もなしに
いきなり違うペースで
振る舞い出されると
周りは普通に困惑しますよね
それは火を見るよりも明らか
それに対してちゃんと
自分の気持ちはこうで
けど現状はこうで
けど、こういう風に生きていきたいから
こういう風にさせて欲しい
という事を説明する責任がある
感情的にならずに冷静に
相手への尊敬を込めて説明をする
これってなかなかの事だと思うのです
けど、これをなぜかちゃんと伝えずに
好きなことしよう!だけを
魚釣りのようにおっしゃるのは
私は少し違うな、と思っています
しかし、説明をしっかり行えば
前向きな大きな一歩になると思います
そして、もう1つのアプローチが
ただあるがままの
“今“に感謝できるようにする
実は、これにも
能力が必要なんです
まず
見る力
1つのことをあらゆる方面から
眺めて
あらゆる立場の感情や状況を想像して
これってもしかして
ストレスがかかってるんではないかなぁ
とか
これって当たり前じゃないよなぁ
とか
そういう“見る力“が必要になります
そういう自ずから気付いていく“見る力“
そして、それに対して
ただ感謝しようと思うと
私だって、これだけやっているし
けど、これはやって当然のことだし
と、感謝しないで済む防衛が
自然と働くことも
身近な人であるほど大いにあると思います
けど、そこを差し置いて
感謝する、ということには
相当の“余裕“が必要になります
その“余裕“というのは
というかこの“余裕“だけは
自分で自分の機嫌や感情に
責任を持てる大人だけが
携えているものなんですよね
なので、今に感謝を向けるというのは
“見る“力と、自分の状態に責任を持つ
“真の大人の余裕“が必要なことで
自然にできるようになると
相当な経験値と人格が必要だと
私は思います
だから、感謝ノートは
その訓練として非常に良いワークだと
思いますし
私も形を変えながら
3年目に突入していますが
これはやはりとても良いです
何が言いたいかというと
“感謝“しましょう
ということは非常に
難易度の高いことですから
それなりに真面目に向き合わないと
できませんよ、と言いたいのです
けど、できます
しかも、たった1人でできます
それでいてあらゆる方向に
素晴らしい良い影響を及ぼしますし
そんな人はやっぱり
どんなコミュニティに所属していても
周囲を幸せにするので
不幸になりようがないですね
だから、やっぱり
“感謝すれば幸せになれる”
は真実だと私は思います
今日も良い日です
いつもありがとう
響月ケシー