ケシーです
安定したい
できるだけ楽したい
そういう思想をしている人を見ると
私はいつも
世間知らずだな
って思う
というのも
この世界はかなり
楽できる世界へと
変わっていて
それは個人の選択に
ほとんど依存している
楽するかしないか
だけなんだよな
安定なんて本質的には
どこにもない
持たざる不安定による安定性もあるし
持つ安定による不安定さもあるものだ
そのいずれも
その両方にその両方が内包されていて
その事自体を愛した時
ついに個別的平穏が訪れるもので
誰かに安定や楽な状況を
もたらされると信じていることが
非常に、世間知らずだなと思うし
言っちゃ悪いが
可哀想だな、って思う
誰かがどうにかしてくれる
その誰かにどうにかしてもらわなければ
だなんて
しっかりと刷り込まれて
しまっているものだから
この世は楽じゃない、と
思い込まされているから
楽したい、だなんて
夢絵そらごとを思う
楽は、すぐすればいい
本当は、そう
君もそう
楽は、すぐすればいいんだよ
多少の計画と
実行力があればすぐできる
本当の敵は
楽していない隣人で
そいつらは徹底的に
お前は楽をするつもりか?
と足を引っ張ってくる
だから
“客観的に正当な楽をしたい“
みたいな複雑怪奇な
願望を持つから
余計に訳がわからなくなる
そもそも教育の構造自体が
楽させない仕組みにしている
1年生から、6年生?
そしたら
小、中、高?
私たちは7歳から
工場のレールに乗せられて
22歳まで
ピッキング作業される
恐ろしいと思わない?
生きてるってなんだろうな
育むってなんだろうな
全員が社会から
札束で頭を殴られて
存在自体の否定という虐待を受けてる
バカにされてるよ
そして気がついたら
自分も共犯になっちゃって
自分の子供も大事な人も
そのレールに
必死に載せようとする
疑ってみよう
それ、誰が決めた?
あなたは永遠に
無限のダイヤモンド
そこに何もないから
あなただけが
それを知る事ができる
無い方がずっといい
無い方が本当にずっといいよ
何も無いを“知る“
響月ケシー