皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
昨日、市川海老蔵でござりまする
ちょっとだけ見ていたのですが
勸玄君はすごいなぁと思って
見ていました
もちろん海老蔵さんの
超えてきたものも
含めて
歌舞伎のおうちに産まれるという
宿命を一手に引き受けて
あのステージに立って
どれだけの物を
受け入れる器なんだろうなぁ
と何とも言えない感動した気持ちで
見ていました。
私たちは
自由を求め
そして一方で
自分の使命を
求めます
自由になって
本当の自分の
魂の呼び声を
私たちはいつも外に
探すのですが
それは1ミリも自分と
離れたところにあるものでは
ありません
いつでもいつだって
完全な”ここ”にあります
勸玄くんと同じように
私たちにも
今生目指す
何かの目的があります
ただ、共通して言える事は
やはり
”愛”なのであるなぁ
という事なのです
海老蔵さんがインタビューの中で
”愛”という言葉こそ
使いませんでしたが
奥様が残していった
”愛”を
自分の中に
見つけられたという話を
されておられました
で、愛とは何かというと
”在り方の型”
でございます
愛とは、与えられるものでも無ければ
受け取るものでも無ければ
ましてや愛されようとする事も
愛する事も
本質的には出来ません
ただ、あなた自身が
愛であり続ける
愛の型を
守り続けるという事
それは、ささやかな
本当にささやかな
コーヒーを淹れてあげる事や
コーヒーを淹れてくれてありがとう
の中に
しっかりと根付き芽吹くものでございます
そして、産まれた時から
大木の木は無いように
愛も最初は
芽の様な
さりげないものです
ここではないどこかへ
飛躍しようと私たちが想ふ時
その芽を
見落としてしまいます
だから、丁寧に日々を
しっかりと愛を感じて
愛のままに生きる
もちろん、24時間人にやさしく
していられない事だって
あるでしょう
けど、愛は最大です
優しくしてあげられない
そんな時の自分も
受け入れる
それが愛の型で
ございます
すると、自然と私たちは
ここぞという時には
愛の選択をしようと
するものです
委ねながらも
愛は”意思”です
しかし、どんな努力も
必要としません
愛はただいつでもそこにある
それを見つけ続ける
感謝し続ける
それが”型”なのだと
思います
そして
けど、自分は
愛のある人間だなんて
思っていてはいけませんよ
あると、思った瞬間
無い、が必ず影を落とします
在るかもしれない
無いかもしれない
けど、感じたい
見つめて居たい
その意思だけが
人間の知覚できる
唯一の領域のようです
愛はあるから
無いに気付き
無いと思うから強く
愛を求め
愛であろうと
愛を示そうと
するのだと思いました
愛はあるんだけど
あるから、無いと思って
無いから、”在らせよう”とする
それが、この世界の
遊びの1つのようです
愛の欠落の中で
それを受け入れるという
最大の”愛”を
自覚する
そんな旅かも
知れませんね
それではお仕事に向かいます☆彡
響月ケシー
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