皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
実は、元旦に
地元のスーパーで
元旦那(まだ、籍は外れてない。笑)が
綺麗な着物を着た女性と
一緒にいるのを
見ました
お母さんは
「えーせーの事を想って」
怒り心頭でしたが
私はなんだか
ちょっと楽になったような
そんなちょっと表現の難しい
気持ちでした
もちろん、思考では
よくこんなときに!
と思ったりもしますが。笑
けど、心はとても
穏やかでした
私たちには実は
”責めたい”
というニーズがある
自分の正しさ
すばらしさ
努力の称賛を
得るために
誰か、悪者を
そこに置く
という事がある
これは、長い年月
ずっと繰り返されてきた
引っ張り合い
あなたは、それで
責める事を通じて
何かに気が付かなくてはいけない
あなたが誰かを責める
その”理由”は
あなたも過去に、もしかしたら産まれる前に
だれかにして来た事。
だから、あなたにも
かえってきている
これは、けど罰ではなくて
簡単に抜け出せること
「ほら、悪なんて幻でしょ?」
っていう宇宙からの
メッセージなんだと
思っている
人は、立場でしか
物事を考えられない
時期がある
やられる側の正当性を
表明する為に
徹底的に
やられてみるわけだ
けど、それは実は
”やって来た事”
あるいは
許すべき過去の自分の罪
かもしれない
だから、やってる相手を
責めているようで
実は、自分の中の罪を
体験して、許す
という1つの儀式なのだと思う
だから、あなたが誰かに対して
あの人はこうだから
ああだから
と指をさして
責めたくなったとき
あなたは”気づく”必要がある
それはとてもシンプルで
あ、やられる側って
こんな気持ちだったんだ
そして
あ、やる側って
こんな想いだったんだ
で、それはね
究極は
エネルギーの争奪戦なわけで
やっぱりそれを
超えていかなきゃいけない
と、なると
私も彼も許そう
と、そういう事になるわけです
で、そのうえで
好きか、嫌いか、という判断になると
私たちはフラットな姿勢の時は
必ず愛を選びます
愛は自然と湧き出て
まとわれて
放たれるものです
そして、それは
”中立”に宿ります
極みは、愛が薄らぎます
だから
まぁ、どっちもあるよな
って思えた時
あなたは必ず愛を選択します
そして、同時にあなたは
究極の時は
悪をも選択するであろうという事も
理解しておくこと
けど、フラットな状態では
あなたは必ず愛を選びます
それは、甘んじて
全てを受け入れるとか
我慢するとか
そんな事でもありません
理解する、とか
受け止める、とか
許す、とか
そんな感覚に近いかもしれません
だから、愛を選ぼう選ぼうと
頑張って苦しいうちは
あなたはまだ
自分の中の悪を
許せてないだけ
あなたが自分の中の
悪を認めた時
自然とあなたは
愛を選ぶ
愛をこめて
明日は、朗読会です♪
こんなとこ!
是非、ぜひぜひ~~
代官山に
遊びに来て下さいね☆彡
響月ケシー
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