皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
問題を起こしたり
親に喧嘩を吹っ掛けるような
そんな子供の姿に
悩むお父さんお母さんも
いるのかな
けど、1つ安心してほしいのは
問題を起こしたり
困らせる子供ほど
物凄く”愛”に敏感で
物凄く深い”愛”を
深いところで知っている子供なのだと
私は思います
なぜなら
私自身が
問題行動を起こす子供の側の
立場だったからです
母の思い通りに
100%ならなかった私に
母は相当困ったし
胸を焦がしたと思いますが
母が
母の思う安全に
私を導こうとする事を
諦めた瞬間から
私は、親に対して
愛情を素直に向ける事が
出来るようになりました
子供が親に反抗する時の理由の
最たるものって
自分のあるがままを
受け入れさせたい!!
という主導権争い
なんですよね
自分のありのままの
存在で
思ったように
喜んでもらえなかったことに対する
復讐だったんだなぁと
思うんです
きっと原因は
小さい”存在の否定”だったと
思うんですよね
さりげない
節々から感じられていた
”あなたはあなたのままで愛されない”
という母からのメッセージ
それは結構
子供の”底”のエネルギーを
奪っていくんですよ
まず、生きていて良いんだ
という強い確信が
揺らぐ
家族という構成員の一人として
”役に立つ、取るに足る”を
目指さなくてはいけないの?
という
命題は
子供のエネルギーを
奪い続けるものです
けど、それは母もきっと
母自信の
”この見知らぬ国での異国の私の子供なのだから
愛されないかもしれない”
という不安や恐れからくる
これもまた愛情の姿かたちを変えたものだった
だから、子供は
無知で無垢な悪知恵で
自分のエネルギーを取り戻そうとする
今でもよく覚えているのですが
小学生の低学年頃
まだ乳房が膨らむ前は
生きてるだけで
愛されていた気がしていて
勉強もそれなりに出来たし
親に何か言われる事もなく
幸せだった
けど、恐らく
中学受験が範疇に入ってきたころ
なんだろうと思う
親は突然
私の学校での態度を
監視するようになっていった
宿題をやっていない事が
バレると
鬼の様に怒られた
(宿題しなくても成績は良かったけどね)
そして、肝心な事は
母親自体が
なぜ怒っているのかを
説明できる
”なにか”が足りない事が
私にもなんとなく伝わっていたし
(漠然とした不安の中の怒りが感じられて)
当然私にもそれが
やるべきことだったのだ!
と理解できる”なにか”が
足りなかった
けど、レッスンとして
その段取りと罠を
親子で組んだわけです
私が、このままの
ありのままで
嫌ならば
あなたが嫌そうな事をして
あなたが心配しそうな事をして
それでも私を愛するかどうか
私を必要とするかどうか
それを確認して
安心したかったんです
もちろんこれは
実を結ぶことはありません
けど、子供は
他の方法を知らない
自分自身をどうにか
自分以外のものにしようとする親に対して
復讐をしていた
あなたの育て方が
間違ってたんだ
あなたが私をこう育てたから
苦しいんだよってね
とても残酷な
けど、切実な
子供の叫びなんだと思います
けど、伝えたい事は
愛の渇望こそが
問題行動で
問題と言われる行動を
起こしながら
ずっと胸の中で
「私のままで愛してよ」
って叫んでる
そしてそれは同時にね
「この世界はそんなに怖くない」
「あなたもそんなに怖がらないで大丈夫」
という想いも
確かにおぼろげに
あったんです
子供の
”愛が欲しい”
という花は
愛が足りていないという
悲しい子供の勘違いから
芽生えます
けど、また同時に
愛はとても人間にとって
重要な事である
というかけがえのない前提も
同時に持っている子供であると
いう事でもあるのです
これは、素晴らしい事ですよ
度重なる問題行動を起こしながら
思えがいていた理想は
母も父も
私をありのままで
このまんまで良いよと
言ってくれたら
どんなに幸せだろうと
思い描いていた
私がやっていたことは
もちろん
とても幼稚な事なんですよ
そして、おおむねその
出来上がってしまった
ちょっとズレた
モチベーション構造は
今後の生き方にも
大いに影響してきた
そして、やってる本人も
自分がしている事を
全く理解していなかった
けど、ふと私の母親が
諦めたかのように思えた瞬間が
ありました
私の派手な服装も
ピアスも
全て
まぁ良いか
と変化した時期がありました
そのきっかけは
何か覚えていないのですが
それから、私は
親の恥ずかしくない娘になろうと
素直に努力して
高校に行き、大学を出て、立派な会社に勤め
で、起業して
自分を丁寧に見つめなおし
それなりの普通の人間には
なれたかなと思います
それに至るきっかけは
ずっと望んでいた
まぁもう
あなたはあなたで
それでいいや
っていう、母からの
諦めに似たような承認でした
そこにはドラマティックな
世界のどんでん返しは
必要なかった
けど、母と娘の間の
私が正しい、お前は間違っている
の綱引きを
母が最初に手を放したおかげで
2人とも真っ逆さま奈落の底に落ちて
奈落の底で幸せに暮らし始めたって感じで
そのころには、周りは真っ暗
あまりにも時間がかかり過ぎた
争奪戦が終えた時には
暗くて湿った奈落の底でも
まぁ楽しく暮らせる、っていう
最大の強さという副産物をもたらした
すると、楽しく暮らして居ると
そこに神様はスポットライトを
当てるわけだ
とまぁ長くなったけども
愛に気付かせる為に
全ての子供は
問題行動を起こします
だから、それを目の当たりにしたときは
それも含めて丸ごと愛してしまう
飲み込んでしまおう
と、面白がってやれば
たちまち解決していくものです
親子問題で悩む人の
少しでも光になれば良いなと
思いまして
愛をこめて
響月ケシー
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55歳になって、親が介護が必要な状態になり、さらに頑張ろうとした私が壊れた。
虚ろげに時を過ごし、なんとか生きてこれた。そして、今また、仕事と住処がなくなり、親元に。それでも今は、仕事も住処もないけれど、心が平和でいられるようになりました。
みんなに護られているんだなって、有難いな~と思える自分が大好きです。