皆さまごきげんよう
ケシ―です。
先日、お父さんいないけど
二人目欲しい発言をした時に
”離婚は、子供の事を想うとどうなのかな・・”
”ベンジャミンじゃないと平等に可愛がれないはず・・”
みたいなメッセージを頂きました。
そのおっしゃった本人を責めるつもりは
毛頭ないのですが
私が感じた事を書きたいと思います。
(そして本人には
嫌だと感じたので、嫌です、とは伝えました。
けど、本人の事は嫌いでも何でもないです。)
最近、日に日に価値観が消えていくようです。
ただ、人間には”価値観”というものがあります。
それは多岐にわたるでしょう。
例えば、子供は母乳が良い。
けど、ミルクも否定しなくて良い。
ここまではまだ上手に
切り替えられる人が多いかもしれない
けど、人の商売を奪っても良い
奪ってはいけない
これは、奪ってはいけないと思うでしょう。
これは、奪われる恐怖に
裏打ちされている価値観です。
自分の仕事は奪われる
自分の仕事は価値がないかも知れない
奪うと、嫌われるかもしれない
信用を失うかもしれない
奪われた人は、路頭に迷うかもしれない
そう信じている人が
この価値観を握りしめます。
人の仕事は奪ってはいけない、と。
”恐怖”によって
価値観は作られるのです。
自分の仕事は自分にしか出来ないし
たとえ、奪われたとしても
その時はまた他の良い事がやってくるだろう
そう構えている人には
奪われる恐怖は無く
”奪われた”と認識する事すら
ないのだと思います。
これを、世界観と呼びます。
それは、ノージャッジです。
価値を与える代わりに
何かの価値を奪わない
ただ、そこにある現象を
自分の目で見る。
これは、世界観です。
人は、恐れる事が起きない様に
”価値観”で防御します。
これを、観念と呼ぶ人も居ます。
浮気される事を恐れる人は
浮気を憎みます
そして、その裏には自分は浮気される人かもしれないという恐れがある。
仕事を失う事を恐れる人は
競合を憎みます
そして、その裏には自分は競合に負けるかもしれないという恐れがある。
価値観とは恐れなのです。
もっと複雑にしていくと
子供の不健康を恐れる人は
子供に悪い影響を与える事を憎みます
そして、その裏には子供が病気するかもしれないという
恐れがあります。
これは、万人が持つ当たり前の感情です。
つまり、誰もそれにブレーキをかけません。
先ほどの商売を奪う、奪わないの話だと
まだ、誰かがブレーキをかけるかもしれないが
この、愛の為の闘争は歯止めが利かない。
やがて、子供に悪影響を与えない自分を
”正義”と定義づけ
それは、その人の重要な支柱となります。
正義は、悪にエネルギーを注がないと
成り立たないので
その人には常に悪が付きまといます。
自分と違う子育てを糾弾し
自分の子育てこそが正しかった
正しいはずだ、と
証明したくなります。
そして、欲望が顔をのぞかせます。
より、健康そうな我が子
より、かしこい我が子
より、素晴らしい我が子
より、正解だった私の子育て。
この様に価値を与える事で
無価値を証明してしまい
選択の幅はどんどん狭くなり
欲望は、膨れ上がります。
そして、その為に人はいつも
”価値観の合う人”を求めます。
それは逆を言うと
”価値観の合わない人”を排除しようとします。
こうして
”自分ならではの純度高い思考”は
ゆっくりと止まっていくのです。
だから、価値観を手放すこと
それは、恐怖を手放す事と同義です。
昔、別れたいけど子供が可哀想だから別れられないと
奥さんの悪口ばかり言っていた人がいました。
はっきり言って気持ち悪かったです。
私は、離婚が善だとも悪だとも
それが、決定的に子どもに悪影響を与える事実だとも
思いません。
そして、離婚した方が幸せになれる可能性もあるし
離婚しない方が幸せになれる可能性もあるし
それは、誰にも解りません。
(卦を立てればエネルギーが減るか増えるかは解るけど)
けど、離婚をしないという事を選ぶ本当の理由は
単に現状に甘んじているだけなのに
もっともらしく、子供に責任をなすりつけて
現状(つまり妻)の悪口を言っている
そのむごい思考が
最強に気持ち悪いです。
あ、ごめんなさい。
本当に子どもの事を想っているんだと思います。
けど、せめて自覚してください
その四六時中文句を言う相手と
一緒にいないという選択を選べない理由を
子供になすりつけています。
自分の不幸を、子供になすりつけています。
私が子供だったら、最悪です。
けど、この私の考え方も
価値観かも知れません。
自分の存在が親を不幸にしているんじゃないかという
恐れかもしれません。
けど、これらは(奥さんの悪口ばかり言ってた人のそれも)
子供を失いたくない恐れと同じ
”愛ゆえの闘争”なのです。
愛故の価値観なのです。
けど、その価値観によって
今のあなたが淀むなら
それは、もう手放しても良い
価値観かも、しれません。
あなたが自由に輝けるのなら
それはきっと”世界観”です
世界観は誰も傷つけません。
どうぞそのままであってください。
何があっても
人は幸せに生きていけるのだと
私は、信じています。
その価値観はあなたを
苦しめていませんか?
響月ケシー
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