皆さまごきげんよう
ケシ―です
尊敬って
とても難しい言葉ですよね。
時にして、尊敬という言葉は
”相手の意向に従う”という
コントロールの言葉になったり
”私なんか、あなたより”という
自己否定の言葉になったり
単純な好き嫌いの言葉に
置き換えられたり。
けど、とても存在感のあるのが
”尊敬”ということば。
正しく、”尊敬”という言葉を
定義するところからはじめたくて
色々調べていたら
凄くしっくりと
あ、こういう事か、と
出てきた言葉。
「尊敬とは人間の姿をありのままに見て、
その人が唯一無二の存在である事を知る”能力”である」
エーリッヒ・フロムという
戦争中のドイツを生き延びた
心理学者の言葉です。
なるほど、尊敬ってそうなんだ
って思ったとともに
一番なるほどと思ったところが
尊敬というのは
そう、”能力”なんですよね。
尊敬出来る人の能力なんです。
つまり
尊敬されたい!というのは無くて。
尊敬はいつでも
尊敬する側の主体的な言葉で
客観的評価じゃない。
ここに、なんか色々考えていた事が
ホロホロとほどけていく感じがして。
だからね
尊敬されるために頑張るなんて
しなくて良いんだよ。
今みんなが
尊敬される人でありたいという想いや
言葉は
実は
・嫌われたくない
・いう事を聴かせたい
・私なんてまだまだ
っていう言葉を
もっともらしい”尊敬”という言葉を借りてきて
置き換えてるだけで
本当は自分で自分を認めてあげられれば
尊敬に足る自分を目指す必要はなくて。
尊敬できる能力のある人と一緒にいれば良い。
その為には
自分も尊敬という”能力”を身に着ける事。
ちょっと余談を話すと
私もずっと尊敬されたかった。
だから、一生懸命自分のダメなとこ
小さいとこ。隠して、かくして
東証一部上場企業でどうのこうのとか
史上最速の昇進でどうのこうのとか
英語が話せるとか、こういう資格もってるとか
本何冊読んだとか、年収いくらあったとか
会社経営しているとか、こんな友達がいるとか
そうやって
ほら!私って尊敬できるでしょ!
ってしたかった。
けど、そんな見せかけの
人に使われるだけの為の尊敬って
あっという間にまたたくまに消えてしまって
残ったのは
昔から私を知っている人や
身近で私のダメなとこを凝視してきた人の
そんなにダメなあなたが好き
という尊敬だった。
すると、私もそんな友達やパートナーを
尊敬できるようになってね。
(ありがたやだねぇ。)
私は私である時点で100点!
と、思えるようになってきたよ。
なので
尊敬されたいという想いを昇華するには
誰かを尊敬する能力を身に着けるだけでいい
すると、あなたの周りの
尊敬する能力を持った誰かに気が付ける。
そして、尊敬する能力というのはたった2つ
① 相手を、唯一の存在だと認める
⇒自分の中のこうしたらきっとこうなる
こういう人はきっとこうだから、こうだを
手放して
今、その時の相手を認める
② その人が、その人らしく成長発展していけるよう気遣う
⇒あなたの都合、一般的な常識、社会的評価
それらをあまり
考えなくても良い様に
気遣う
もちろん、その上で
こちらの希望を叶えてくれた時は
最大限感謝する。
結局のところ尊敬とは
相手を、相手足らしめることを
認め、受け入れる事。
愛のままに(*ノωノ)
加美野
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