皆さまごきげんよう
ケシ―です
えーせーが
ばぁばの添い寝だと
すんげぇ寝ます。
すげぇ可愛い~
(ママっぽいけど、ちょと違うけどまぁいいか)
1月は色々な方にお呼ばれしたり
自分が行きたいところに行ってみたり
子連れでめちゃくちゃ忙しい予定。笑
あ~けど結構いろいろな事無視してる~笑
良いのかなぁ~まぁいっか~
そして、タイトルですが
ある日父親の買い物に付き合って
えーせーを母に預け
でかけた時
帰り道で
子育て生活について
話していました。
そんな中急に
「ベンジャミン君は何歳や?”という話になり」
36だよ~というと
「おお、お前が産まれた時のわしの年か」
そして一呼吸置いて
一言
「お母さんは、本当よう頑張った」
って言った
んで、何が?って聞いたら
「ママが嫁いできたとき本当に大変やった
そんな中、子育ても、仕事も、本当によく頑張ったと思う」
もう、ただただ
感動した。(・´з`・)
そして、思ったことは
ああ、私は全て勘違いしてたんだなぁ
という事
私は
中学2年生で家出
愚行の極みを繰り返しホームレスに。
そして、心機一転社会復帰を目指し
18歳で高校入学しなおすという
親からしたら、ドラ娘の極みみたいな娘でした。
(ほんと、パパン、ママンごめん)
その時私は
時々夫婦喧嘩する自分の両親を見て
”離婚すれば良いのに”
なんて思ってた。
そして、母親を要領のよい
努力などしないタイプで
自分とは真逆だとか
そんな事を思っていました。
尊敬、してなかったのかもな。
けど、本当は
とってもとっても努力して
精いっぱい異国の地で
言葉も解らない中で
どうにか、人間関係を構築して
仕事をして
そこで授かった唯一の宝物のような我が子が
どうか傷つかないように
惨めな想いをしないように
異国の地で得た宝物を守ろうと
精いっぱい教育・子育てをした
そんな母を私は
自分勝手に
自分の人生をただドラマティックに
仕上げる為だけにか
悪者にして
勝手に1人苦しんでいたのでした
けど、違いました
父のいう様に
子供と、パパと
あらゆることを考える
頑張り屋さんだった。
私と違うところはもちろんある
けど、記憶なんてものは
本当にアテにならないなぁと
そう思ったお昼間でした。
みんな多かれ少なかれ
こんな自作自演をしているのかもしれない
皆さんの辛い思い出も
もしかすると勘違いかも
しれませんよ。
いじめっ子の記憶にフォーカスするのか
今もそばに居るお友達にフォーカスするのか
もう敵は必要ない
どうにでもなる
この世界が好き
けし子
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