皆様ごきげんよう
ケシーです。
私ももともとがっつり超サラリーマンでした。
噂になるほどの厳しい上場営業会社でしたので
仕事の時間は遅く、毎日が仕事三昧の日々でした。
上司や先輩も厳しい人が多く
よく怒られたものです。
何かを作る、チェックをお願いする。
その時に100%反対する人が居ました
100%です。
それは、逆に100%OK出す人と
一緒なんじゃないか!って言うくらい
絶対にダメ出しが出ます。
それが、納品前日だろうが、徹夜明けだろうが、関係ありません。
怒って、資料を投げる、怒鳴る、言いたい事を言う。
もちろん、彼の責任の仕事の一部を担う時はそれは致し方ないのですが
全く関係の無い仕事にまで、謂れのない反対意見を流布するのです。
今日ニュースを見ていて
東京の公園内に保育園建設に反対するお母さんの
震えるインタビューを見ていた時に
その彼の事を思い出しました。
多分、彼の頭の中の敵も
その公園の反対運動のお母さんの敵も
きっと、彼らの中にいたと思うのです。
いつだって、反対運動は起きても
賛成運動は起きないもの。
反対だ!と声を上げるのは
自分は認められたい!という事と同じ。
反対のエネルギーというのは
”わかってくれ!認めてくれ!”という
承認欲求の爆発そのもの。
行き場を失った
自己不信のエネルギーの行き着く先が
極端な反対運動や
コントロール思想へと繋がる。
(もちろん、全うな反対運動も世の中にはある事前提ですが)
易の世界でも
”信”の欠如は”義”の暴走を呼ぶと言われています。
信とは、信頼・信じる・自信です。
義とは、約束・目的等、他社とのかかわり合いの中での為すべき事を為すという事。
正しい義とは、明確な目的意識があるもので
本来、違うな、と思ったとしても
相手方がそれをしたいと望むのなら
ただ闇雲に反対するのでなく、感情的になる事なく
話し合う、見守る、応援する。
そしてたとえ失敗したとしても
「こうなる事は知っていた」なんて、冷たい言葉を
かけることも無いのではないかと思うのです。
義の暴走とはコントロール主義です。
子供を支配する親
パートナーを支配するパートナー
部下を支配する上司
その源泉は多大なる自己不信に他ならないのです。
そっとその手を緩めて
自分は大丈夫だと唱えてあげて欲しい。
代替案無き、反対をする人には
”もっと自信を持って下さい”と
心の中で愛を送りましょう。
そして、自分自身の中に
そういう反対のエネルギーが宿った時は
自分は一体、これに反対する事で
自分の何を認めさそうとしているんだろう、と
観察して、受け止めてあげて欲しいと思います。
けし子
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