今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
小さい頃はなんでなんでなんで?
って聞いてばかりの子供でした
今でもそうなんですが
いつも頭の中に?
なんで?
っていつでも湧いてくるんですよね
まぁ、ええやん。って
流せたらいいのに
頭の中はいつも
なんでなんでなんでなんで
だから、学校の先生にも
嫌な顔をされた記憶があります
小学生の頃のある日、先生が
「僕は君たちのために
仕事を辞めないで頑張ってる」
的なことを言っていたんですね
けど、先生が醸し出す
“空気“の一切を
全く読めなかった私は
素朴に
「だったら辞めたらいいじゃん」
と口から出たんですね。
本当にそこには先生に対する
なんの感情もなく
辞めたら辞めたらいいって
普通に思ったんですね
学校の先生も
2年に1度変わってるし
大した生活の変化もないし
あなたじゃなきゃいけない理由は
何もないんだから
やめたいっていうのなら
やめたらいいのに。
今ならわかる
きっと想定されていたであろう
“先生ありがとう“的なムードの
1ミリも頭に湧くことはなく
っていう感覚で本当に
普通に言ったんです
けどここからの記憶が
あまり無いのですが
その先生がその後言った一言と態度で
大号泣した記憶が残っています
(中身は多分自分で消してますね。笑
思い出せません。)
あの頃の私は
とても純朴で
それでいて、とても繊細で
本当に今思い出しても
壊れてしまいそうな子供でした
頭の中には“なんで?“ばかり
そして、年を追うごとに
なんで、そんな平気な顔して
みんな机に座ってられるの?
と不思議でなりませんでした。
勉強はなぜかそれなりに
出来たので、その辺りの不便は
ありませんでしたが
授業の進行がとても遅かったので
中学受験の時にはとても困りました
それから
“学校の先生“という類の存在には
基本的にアレルギーがあります
(もちろんその後
恩師のような人にも出会えていますよ)
私は本当に感受性が豊かすぎて
なんでもかんでも真正面で受け止めてしまって
遠くの子供のことや
歌の中に込められたメッセージに
いちいち振り回されては
いろんな妄想で眠れない子供でした
今でもちょっとしたニュース1つに
思考が全世界的に広がって
けど、建設的な思考に至るほどには
知識や教養が足りないことにも
同時にも気づいていて
ただただ祈るばかりです。
そんな中
トンガで噴火があったので
寄付をしました
(よかったら皆様もこちらで)
結構私は寄付はしています。
特に、力を入れているのは
精神的な傷を負った
親と暮らせない子供たちの施設で
ボディソープやシャンプーの購入の支援を
定期的にしています
海外の知らない子供の学費も
極貧時代から支払い続けています
(たった2人ですが。笑)
もちろん親戚にも・・
これもけど彼らのため、と言うよりは
無力な自分への慰めと
自分の中にある問題意識を
絶やさないためのささやかな
抵抗のようにも感じられます
私にはえいせいとえまという
最優先事項がありますので
申し訳ないけどこの子たちが
ナンバーワンだけど
少しは余力があるから
これぐらいは私もしたい
って、そんな気持ちです
そんな感じで基本的に元気なのですが
私のこの“思考の癖“は
ちょっと私の人生を
憂鬱にしてるかもしれません
けど、そんな自分が好きだし
少しでもそういった事が
この世界を巡らせて
光の量を少しだけ増やしてくれるように
祈りを込めて
今日も私は丁寧に
まずは、自分と子供たちのことを
しっかりやりたいと
そうして眠ります
明日は、待ちに待った
卍会です。
社会情勢はいろいろですが
とにかく楽しみです
愛を込めて
響月ケシー