ケシーです
来年で、サラリーマンを辞めて
およそ7年間経ちます
あっという間でもう
サラリーマン時代の記憶も
殆どないのですが
けど
“アフターサラリーマン“
だった時代の自分のことを
よく思い出してみると
ものすごい敗北感を
身に纏っていたな
と気がつくんです
敗北感というのはつまり
サラリーマンとして
大成できなかった
評価されきれなかった
という気持ちで
今は当然
人間には合う、合わない
というものがあって
咲ける場所はそれぞれ
っていう事は
ゆとりを持って十分に
わかるんですが
当時は、その敗北感丸出しで
どうにか
サラリーマンとして
上手く行かなかったのは
私が悪いのではない
ということを証明したかった
ということはつまり
そこはかとない
“私がうまく行かなかったのは
社会のせい“
を纏っていたと思うんですね
で、その敗北感で
突っ走っていたので
今度は、婚姻生活でも
同じような敗北感を
抱く結果となるわけです
(大体、エネルギー状態に
ふさわしい環境を
どんな時も人間は作るので)
夫が悪かった
婚姻制度が悪い
みたいな感じでね
これって、いろんなケースで
あると思うんですよ
もちろんゆとりを持った視線で
合わないよね、うん。
っていう優しい承認が
自分に向けられていたら
心配しなくても良いと思うのですが
大抵は
いや、社会が悪い
いや、相手が悪い
という気持ちを
どうしても敗北感から逃れようと
湧き上がってしまうものです
すると、敗北感を
エンジンにしている人には
特有のオーラが現れます
こちらの呼吸が
浅くなっていくような
息苦しさ
きっと私もそうだったんだな
って思いながら
ふと、思い起こしてみたりもします
けど、どんな時も
思い出して欲しいのは
本質的には誰だって
“一度も間違ったことなどない“
という大原則
だから、まずは
その幻の敗北感を
自分の中に見つけたら
自分の大好きな子供が
学校でいじめられちゃった時のような
気持ちになると思うんですが
それは、負けたということではなくて
人生のとある節目を
ただ、迎えたのだと言うことを
常に思い出して欲しいなと
思います
世間が言う“敗北”は
常にあなたが
あなた自身の人生を辿るための
きっかけに過ぎないんですよ
メリークリスマス
この世界はサンタクロース
響月ケシー
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