皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーには大きな心の傷があります
それゆえに、私は
ブラック企業でセクハラ退職をし
DV夫と暮らし、借金苦に苦しみなどなど
あらゆる苦労を体験したのだと
実は解ってるんですね
けど、これを告白してしまうと
親を貶める事になると思って
ずっとシェアできずにいた事があります
けどね、昨日、今日と
ぽつりぽつりと
湧いて起こって来た想いが合って
今ではずいぶん
日々の丁寧な積み重ねで
ずいぶん改善してきている
日常生活ですが
ああ、私
親に復讐していたんだなぁ
ああ、私
親に自分だけ見ていてほしかったんだなぁ
って
その種を改めて見つけたので
ここに書いて
セルフヒーリングに
付き合って頂けたらなぁと思います
前置きとして今現在は
私の母も父も
えーせーを夢の様に溺愛してくれ
私の仕事も献身的にサポートしてくれる
理想のマスオさん無しのサザエさん一家であることを
伝えておきますね
家族再建に、大きく貢献してくれたのは
紛れもなくえーせーの誕生でした
私の兄は、うつ病で銀行の仕事を退職しました
現在いわゆる貧困世帯で
今は家電量販店で勤めています
弟は、小学校中学年から
30歳の今まで引きこもりです
そして私は小さい子供を抱え
DVで離婚し事業は失敗し
借金苦に追いやられました
(今は経済的に十分に自立できたと思います)
明らかに、私たち三兄弟には
何らかの問題があります
その原因は
両親のギャンブル依存症でした
幼稚園の頃からでした
ポパイ&オリーブというパチンコ店に
少し外が暗くなると
セダン車に両親+三兄弟で向かい
11時まで、車の中に居ました
それも、毎日、毎日です
車の中には
ビデオデッキと小さいテレビがセットされて
それを毎日毎日見ていました
ダビングしたドラゴンボールや
ディズニーのビデオを
毎日毎日見ていました
そしてお母さんには
「ポパイ&オリーブって先生に言っちゃダメだよ」
と、きつく言われました
この忠告が
とても苦しかったのを
覚えています
トイレに行けないので
弟がおしっこを漏らします
私も時々漏らします
そうすると兄がパチンコ店の中にいる
母親を呼んで
パンツを変えてくれたり
したような気もします
お腹が減っていて
オロナミンCを飲んでいました
私も、弟も歯が真っ黒に
虫歯になっていました
パチンコが終わって
家に帰ると
そこからおにぎりとか
食べていたような気がします
我慢できなくなって車を抜け出し
パチンコ屋に入ると
子供を入れてはいけないと
親が怒られている姿も見ました
仕方なく、車に戻ると
お腹が減って
パチンコ屋の下にあった食堂で
おにぎりを食べさせてもらった後に
お店の前の道路を度胸試しで
渡ってみたりしてると
お店のお兄ちゃんが心配して
引っ張って連れて行ってくれたりもしました
そして、車で待っているという長い幼少期が終わると
今度は家での長い留守番が始まりました
10時とか、11時とかまで
誰も家に居ない日が週の半分程あります
ある日、我慢できなくなって
11時頃帰って来た父親に
抱き着いた事がありました
しばらく両親とも
家に居ましたが
またしばらくすると
いなくなりました
母親の世話も
どんどん手薄になっていきました
私の髪の毛は
絡みついて櫛が
通らなくなっていましたので
ある日、ばっさり切りました
けど、母親は
私が宿題を出したかどうかだけには
非常に厳しく叱りつけました
成績が良ければ
容子は賢い
と、兄と比べ可愛がってくれ
とても機嫌が良かったので
そこから、私の
”結果”への執念は
始まったのかもしれないなと
思います
父親の年収は
2000万円以上ありました
母親の会社も
年商3000万円近くあったと思います
けど、老後の2人のお金は
1円も残っていませんでした
けど、私の”学校”にかかるお金は
かけてくれました
本もたくさん買ってくれました
大学に行った時は
下宿もさせてくれました
けど、私の事を
愛していたのかな、って
思う事は何度もありました
思春期を迎えるにつれて
底知れないどこかから湧く怒りは
どう納めればよいのか解らなくなりました
弟を殴りました
弟は私が
壊してしまったのかもしれません
そして、自分への信頼を
完全に失った
兄と弟を横目に
私は15歳から徹底的に
グレ始めます
酷い虚言癖もあったと思います
とにかく誰でもいいから
側に置いてくれる人には
依存しました
何にでも依存しました
父親が初めて私を
思い切り殴りました
家から完全に飛び出しました
しばらくの間戻りませんでした
親はお金の支援は
してくれていたと思いますが
もう、親と会えない事には
何の寂しさもありませんでした
たまにふらりと実家を訪れては
お金をせしめて
また逃げました
私は、寂しかったのです
けど、私は幸運にも
出会いに恵まれていました
家の外で出会った人たちは
みんないい人達でした
私を私のままで
受け入れてくれていた様な気も
します
そして、みんなに口をそろえて
「お前賢いから、行けるなら
ちゃんと学校に行った方がいい」
と言われました
そうやって言ってくれたおかげで
私は自分で勉強をして18歳で
高校に入学しました
初めて実家にちゃんと帰った時
私の部屋がありました
私の部屋の机の上の漢字ノートに
母親が、日記をつけていました
その日記には
ごめんなさい、寂しい
ごめんなさい、寂しい
児童相談所も、教育委員会も
助けてくれない
と書いてありました
その時初めて
罪の意識が出てきました
けど、母親は
私を娘として受け入れたい反面
彼女がどこかに感じている
負い目の賜物でもある
得体のしれない何かにも
感じていたと思います
家族全員が苦しかったんだと思います
誰も受け止めきれなかったんだと思います
母親は私が使う食器から何から
毎晩、煮沸滅菌していました
私は、そこから
親に愛されようと
親に、受け入れられる娘になろうと
努力し始めました
高校は評定平均5(オール5)で
卒業しました
大学にも行きました
大学の弁論大会では優勝もしました
東証一部上場企業に就職しました
そこでも稼ぎました
けど、私の心にぽっかり空いた穴は
いつも埋まらず
それからもその穴を
大きくするような事件ばかりが
起こり続けました
親とも表面上は
問題ない関係になっていましたが
事あるごとに
私は責められていた様な気がしていました
私が、私のまんまでは
愛されない
その勘違いが大きく大きく
なっていくにつれて
私の人生は
大きく大きく苦難に満ちていきます
ここから
DV、借金、シングルマザーへと
発展していって
大きいお腹を抱えて何度も家出をして
不動産会社の友達が管理物件に匿ってくれて
そして、産んでからは逃げられなくて
どんどん小さなえーせーを抱えたまま
どうにもならない状況が進んで行って
万事休す、もう死ぬしかないのかな
と思った時
北海道から助けに来てくれたのは
母親でした
母親は
”あの母子を救わなければならない”
と思ったのだそうです
けど、あの日あの時
母親が助けに来てくれなかったら
私は、本当に
どうなってたか解りません
それが
あの愛の手紙に出会って
その手紙を信じると決めた
3か月後の出来事でした
全ては愛なのだと全てを受け止めて
その中で、私の今の人生に
愛を探して生きると決めた時
全ての因縁が
解けて消えていくかのように
私の全てが解決に向かいました
また同居になってから
親と一緒に最期の宿題に取り掛かりました
夫からのDVのトラウマと
相変わらず経済的に不甲斐ない私は
怒りに任せて、親を罵りました
あの時、寂しかったと
車に残されて苦しかったと
なんで、そんな事が出来たんだと
母親を目いっぱい責めました
ずっとやれなかった事
けど、本当はとても憤っていたこと
もう、耐えられなくなっていた
私の体の中の行き場を失った怒りは
やっと、元居た場所に戻って来たのです
良い方法ではなかったと思います
母親も泣いて、泣いて
きっと、返す言葉が無かったと思います
けど、それが出来たという
大いなる三十路女の母への甘えによって
そして現実には
その母によって救われた事実によって
私の中の大きな何かが
成仏した事を感じました
それは、ただ
全てが愛に着地すると信じて
全てをそのままに赦した結果
そして、それは誰にだって
絶対にできること
そして今
私は家族全員が
安心と平穏の中で暮らせるだけの
経済的安定と、生活的充実を
創造する事が出来ました
そして、私は私自身を
自らの手で癒す事が
出来たんだなって思いました
この宇宙の全てに介在する
愛の力を確信するだけで
そして、何度でも言います
それは誰にだって簡単に出来る事
そして、何より母親に愛されたかった
世話してもらいたかった
大事にしてもらいたかった
私の私こそを見てほしかった
その失われたピースを
30歳を超えて
母は60歳を超えて
とぼとぼと丁寧に
一緒にやり直しています
毎日、毎日
母親自身も同時に癒されていく事を
感じます
いつか、いつかこの光が
弟や兄にも届けばいいなと思います
そして、この世界には
色々なマインドブロックの外し方とか
トラウマの癒し方とか
溢れています
けど、そのあらゆるツールが
本当に”効く”時には
愛が、確実に今ここにあると
確信を持つ勇気を持つこと
だけなんじゃないかと思うんです
確信が持てない現実でも
理想通りの自分じゃなくても
関係なくて
あなた自身が
今、ここ最先端のあなたが
それを”そうである”と決める事
それが一番、大事な事で
それ以外は本当に何も
必要な事はないんじゃないかって
思うんです
持つと決めたら
あなたはどんな状況の中にも
時がとまるような美しさを
見つけ出す事が出来ます
するとねどんな状況だとしても
もし相手が死んでしまっていたとしても
衝突や怒りやら
あらゆる感情エネルギーの調整で
その道中は大変でも
宇宙的に調和させて
全てが元ある姿へと
戻っていくんだと思うんです
日本語も喋れない異国での3人の子育て
夫が好きなギャンブルに
ちょっと付き合う程度の想いが
自分がちゃんと子育てできてるかどうかも解らなくて
不安や劣等感から逃れようと
あの時の母を”壊さずに置いてくれた”のも
ギャンブルなのかもしれません
そして、この大いなる旅のおかげで
私がどんな人にも
色んな過去やその人なりの苦しみが
あるのだという事を
想像して生きていく事が
出来るように
この宇宙に育ててもらったと感じています
(けど、もう苦労が必要だとも
思わなくなれたのも
ありがたいなぁって思う。)
今は、そういう過去にも
感謝と愛を向けて
あの時、車で寂しそうにしてる
ちいさな私も
ちゃんと胸に抱きしめて
良い子だったね
大丈夫だよと
言ってあげられる私が
います
こういった
目に見えて解りやすい物事が無くても
漠然とした不安感で
どうにもならない人も
虐待やその他も含めた
大変な想いをした人も
もう、苦しみ無しで
いきなり大丈夫な世界に
ワープして良い時代が
来たんだなって思った。
その、私を引き上げてくれた
あの手紙
ここまでに私を癒してくれた
あの、愛の確信の手紙
是非、感じに来てください。
是非、心で聞きに来てください。
あなたの中にある何かも
元ある姿へ元に戻るから。
私はもう
寂しくないですよ。
やっとスタート地点に立てたかな。
えーせーとその全てに
感謝をこめて
是非、感じに来てね。
【今現在の確定スケジュール】
@川越 5月19日(日) 申込はこちら
川越アトレマルヒロ7階スペースセブン
埼玉県川越市脇田町105(JR,東武東上線川越駅より徒歩3分)
@札幌 6月16日(日) 申込はこちら
@神戸 6月23日(日) 申込はこちら
最近の感想はこちら
愛をこめて
響月ケシー
コメント
コメント一覧 (2件)
ケシーさん いやはやドギマギして読みました。読み終えて、、大きな感動と涙と勇気をもらえました(^-^)♡
5月5日新月になんて素敵でタイムリーなプレゼントなんだろう。コピペして保存しました。また不安定になったら読み返す文書にします。
匿名希望
ケシーさん、衝撃的でした。お若いケシーさんの大きな懐の背景に、何があるんだろうと、常々ブログを思いながら読ませて頂いておりました。
ケシーさんの通り過ぎた道のりに、自分を重ね合わせ、もしくは状況は違えど、愛を求めて彷徨う全ての人の心に共鳴するものがあったはずです。
語ってくれた勇気に感謝します。
自分自身、お母様に近づこうとするような歳になったにもかかわらず、母との確執を解消できないままあれこれと抱え込み、結局いい子を貫き両親は他界、自分はうつ状態におち入りました。
愛の欠落の行く末、出口は何処かに必ずあると、そこに必ず到達できると信じ、恐れずに目の前の出来事に向かおうと思えました。
朗読会へも参加したいと思います。
これからも、ケシーさんに、沢山の愛が降り注ぎますよう、心よりお祈りしております。