皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる
愛ある皆さま
今日もお読みくださり
本当に有難うございます
東京出張の旅の中で
色々な気づきがありました
第3回無形の会(^-^)帰り道です。
(マッカイ瑞穂さん)
そしてこの前
宇宙石鹸ワークショップに参加してくれた
高橋恵美子さんからも
こんな感想を頂きました
こんにちは。5/14の宇宙石鹸に
参加した高橋です。
お忙しい中、申し訳ございませんが
シェアしたい事がありましたので
時間がある時、お読み頂けると嬉しいです。
宇宙石鹸作りで…
正直私は、「楽しい!」と言う感情が
ありませんでした。(-_-;)
みんな「楽しかった~♪」と言うのに
私は「楽しい」を感じられず(ToT)
無我夢中の静けさを感じたような感じで
楽しさを感じられない自分は何なんだろう?と
少し悲しくなっていました。
翌日、色々と上がってきたものが、ありました。
ケシーさんが私の石鹸を見て
「石が入っている。」と言われ
私は、精油を入れた時に入った花弁を
手で戻すのも衛生的に良くないと思い
そのまま入れた花弁が実は石だった!
という事をその時知りました。
しかし、何の感情もありませんでした。
ケシーさんは「アメジストだよ!ラッキーだね!」と
言ってくださいましたが
私は、嬉しい!とかラッキー!とか
全然思いもしなかったし
申し訳ない…との感情もありませんでした。
普段なら、「謝らなくっちゃ」とか
「私、ラッキー♪」とか、出てくるのに
淡々と事を受け止めただけ… でした。
本当に不思議なんです…
ケシーさん宅の中?
いえ、ケシーさんと会ってから
私の中の感情が止まってしまったようでした。
上がってきたのは…
「あぁ、宇宙が持つ『無』とは
こんなんなんだろうなぁ?
良いも悪いも無い。ただ、受け入れるだけ。」
そう勝手に感じ、文字通りの
『宇宙体験のワークショップ』
となってるなぁ…と感じました。(笑)
また、ケシーさんの庭で
タバコを吸っていた時
無性に泣きたくなりました。
何に対して
込み上げてきたものなのか?は
今も分かりません。
同じ日にケシーさんも
号泣したとブログに書いてあり
もしかしたら私も自分に対しての
労いの涙だったのかなぁ?
なんて思ったりするのですが
やはり分かりません。(笑)
ブログの中の
『空っぽ』と言う言葉も
キーワードになりました。
宇宙=空っぽ
私の中では繋り
ケシーさんのブログに
ヒントが詰まっている事に驚きました。
本当に不思議なんですが
いつもは元気印の私が
穏やかに、物事を受け止めているんです。
物静かになっちゃいました(笑)
いつも何かに焦り
「何に焦りを感じているのか?」
疑問でしたが
ケシーさんが私の顔を見て放った
「焦らなくていいから。
完璧な人間なんて、いないんだから。」
が、強烈に心に響き、私の『御守』になりました。
ケシーさんは、見抜いていたんだ!と
言ってくださった事に
とても感謝しています。
翌日から、ケシーさんのブログを読むのが
楽しみになりました♪(^w^)
また、お会いしたいです♪(´ω`)
私も参加した人達と同じで
「何か分からないけど参加しました!」
ですが
きっと参加したした人達も
変革が起きているんだと思います。
参加出来た全ての采配に
感謝・感謝・感謝で、いっぱいです。
ケシーさんに、お会い出来、本当に良かった!
ありがとうございます。
長くなりましたが
いっぱい感じた感謝をお伝えしたく…
こちらこそ、「よろしく」
でございまする。(´ー`)
マッカイさんも
高橋さんも
とっても嬉しい感想をありがとう
ケシーはとても嬉しいです
この世界は
自分が見たいように見れる様に
なっています
ケシーは
どんなメソッドも、方法論も
持っていません
けど
本当のことを話したいし
私も常に知り続けたいと
思っています
ケシーを求めてきてくれたという事は
その自分の中にある
宇宙を”感じたい”という
底知れぬ強い衝動があって
そして、それが思いのほか
あっけないもので
ささやかなもので
そして、少しずつ
ああ、こうなのかと
馴染ませていくのだと
思います
その恐らく
全員に共通した
”ほんとうのこと”は
その存在を
完全に知覚する事も
理解する事も
読むことも
聞くことも出来ないもので
気が付いたら
”乗っている”
そんな様なものだなぁと
思うのです
無形の会で
ただただ、集い笑う中に
宇宙石鹸を
ただただ、作り喜ぶ中に
私たちは自分の宇宙を
必ず覗き見ます
愛をこめて
あなたは
全てのことから
全てを知る事が出来ます
あなたが宇宙と繋がるとき
あなたは必ず
昨日と変わらない毎日の中に
違う世界の美を見つけます
響月ケシー
コメント
コメント一覧 (1件)
はじめまして。最近ケシーさんのブログをよみはじめました。
何度も読み返しています。
寝たきりになった父と介護をする母との同居暮らしから、塞ぎこんでしまい…
しばらく離れ、仕事をしながら祈り、生きていていいのかなと茫然とおもいながらも、今日の方と同じで『無』の感じが1日していました。
こんな感じを今までなら「何て冷たいんだ」と思っていたのに、今日はピュアな心でいられて、木に話しかけながら桑の実を取っている自分がいました。
介護や両親から逃げている最低な自分を今は受け止めています。
生きていていいのかなと問いながら自転車をこいでいると、目の前に一瞬虹雲が現れ「いいんだよ」って答えてもらった氣がしました。