皆様ごきげんよう
ケシ―です
いつも最先端を生きる皆様
今日も読んで下さり、本当にありがとうございます!
今日も和の会でした
和の会とは
体を使って”気”のコミュニケーションを行う
という、ボディワークの習い事の様な物ですが
やっぱりとても気持ちよい
温泉入った後みたいな気分で
いつもホコホコ帰り道を行きます。
そして、表題の件ですが
断言します
ケシーは人を見る目がありません。
お蔭様で
たくさんたくさん
期待しては翻弄され
諦めてはまた期待し
そしてまた翻弄され
を繰り返してきましたが
もうすでに
それはそれで良いという境地に居
達しています。
人を見る必要さえない自分になる!
と決めてからは
翻弄されて凹んだり膨らんだりしながらも
その時その時の自分の本音を
大切にしたいと思って過ごしています
そして、嘗てケシーが
つまずいてきた数多くの石を振り返って
眺めてみていると
気が付いた事がいくつかあります
ケシーはなんだかんだ言って
人に助けられ続けて
生きてきました
正真正銘の困った時
助けてくれる人が居て
そして、助けを求められないほど
つらかった時なんかは
全て終わって話す事が出来た時には
みんな温かく
なんで、自分に助けさせてくれなかったんだ
って声をかけてくれます
そして、そんなコミュニケーションが
成り立つ
付き合いの長い人たちには
ある共通点があったので
皆さんにシェアしたいと思います
彼女、彼らはいつもいつも
私の大切な人を
私以上に大切にしてくれました
胸を開いて付き合ってくれる人達というのは
そういった細部の品性を持っていて
共通してやはりそれが培われた背景にある
もう1つの共通点は
”自分の名前で生きている”
という
太い経験値に裏打ちされた
確かなやさしさがあるという事です
何度も言いますが
※これは是非読んで下さい【これからの生き方①~⑦】
身の周りの人は全て
自分の内なる神性の現れ
必ず”真の自己”には
真の自己の一部である
”他人”が
必要なのです。
その他人と
どう関わっていくかは
あなたが世界に”どう扱われるか”と直結し
あなたの人生がまとう”幸福感”にも
もちろん因果関係が強くあります
人間というのは
自分自身を認識できないという
構造をしています
つまり、人生とは
”他人そのもの”なのです
そうなった場合にまず
安心して人に紹介される人
安心して連れ出される人
安心して話が出来る人
である事です
それは、言葉遣いや身だしなみもそうですが
何より
誰かと、その誰かの大切な誰かぐらいは
きちんと”視えて”いて
心配りが出来ていること
我慢する事や
自分を殺す事ではなくて
ただただ心を配る
それは決して
見下さず、無視せず
きちんと胸を開いてコミュニケーションをし
適切な
ありがとうとごめんなさいを伝える事
たったそれだけの事です
そうであれば
ほとんどこの世の全ての人が
あなたの事を
安心して
必要な人や場に運んでくれます
この世の全ての”運”や”実力”は
人によって運ばれてきます
たとえ、あなたが努力していたとしても
その努力が出来たきっかけや環境は
必ず他人がもたらしてくれているはずです
繰り返しますが
人生とは”他人”です
だから、ケシーは
大切な人こそ
大切な人の、大切な人さえも
ちゃんと大事にしたいと思う
そして、ケシーは
ケシーだけではなくて
ケシーの大切な人を
大切にしてくれる人の事は
何があっても
ずっとずっと忘れません
どんなカリスマ性があっても
美人でも、天才でも
神は必ず”細部”に宿るのです
丁寧に参りましょう
響月ケシー
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