今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
先日、中村文則先生の
「去年の冬、君と別れ」
と言う本を読んでいて
作中の登場人物の男性が
盲目の恋人を殺されてしまうのですが
その盲目の女性とは
付き合っている頃から
不安や心配や執着で苦しみ
そして、失ってからは
その憎しみと喪失感で苦しみ
男性は彼女とのことで
常に深い苦しみの中にいたのですが
その男性が
“お前はその全てを
感じたいから
あの女を選んだんだ“
と言われるシーンが
あったんですよね
で、本当にその通りだ
と思ったのです
私たちは無意識のうちに
小さい頃から大人になってからも
自分の事を評価する
そして同時にこの世界のことも
定義する
私は、幸せだ
私は、1人だ
私は、不幸だ
私は、愛されている
私は、愛されない
人生は、苦しい
人生は、楽しい
男の人は、優しい
男の人は、頼りになる
男の人は、何でもいうこと聞いてくれる
男の人は、私を利用する
男の人は、私を傷つける
男の人は、嘘をつく
お金は好きなだけある
お金はどこにもない
お金で人生は難しくなる
お金で人生は楽しくなる
どんな評価をする事も
あなたは許されている
いいですか?
どんな評価も
どんな定義も
許されている
そうして自分のことを
自分の置かれた世界のことを
私たちは常に評価して定義する
そう言うものだ、と
自分が感じてきた感情に基づいて
世界を断定する
そして、同時に自分自身も
断定する
で、私たちは
その“自己評価“の正当性を
証明するがために
命懸けで、生きている
自分がそう決めたことの
辻褄を合わそうとする
それはもう命懸けです
それは
自由意志を持った私たち人間の
宿命であり、苦しみであり
喜びでもある
“思った通りの人生を創造する“
私たち人間という生き物
自分の目に見えてわかる能力も
潜在的な宇宙的な能力も
フルで使って
私たちは
“自分たちが思う、自分と世界“を
証明するために
自分も他人も何もかもを利用して
生きている
なんのため?もクソもなく
ただそのシステムの中で
私たちはただ生きている
どんな人生が良い、もない
どんな人生が悪い、もない
どんな生き方が素敵、もない
どんな生き方がダサい、もない
この世界は苦しみで満ちていると
そう決めたのなら
私たちはそれを全力で証明する
この世界は愛と豊かさで満ちていると
そう決めたのなら
私たちはそれを全力で証明する
こういう生き方が素敵と決めたら
それ以外の生き方を批判したくなるし
こういう生き方が正解と思っていたら
それ以外の生き方で幸せな人は
妬ましくて仕方がない
けど、私たちは評価をやめられない
定義から解放されることはない
常に全人生を使って
そのどちらも
同じ力学で実現していく
そしてその世界を
“自分で創っている“という事に
気がついた人から
それではどうする?
という世界に
移行していく
どうせ好きにして
いいのだとしたら?
良いも悪いもなく
本当に自由だとしたら
私はどうしたい?
その問いを自分に向けた時
そして、それを実現する勇気に
手をかけた時
私たちのまたもう1つの人生が
始まるのだと思う
2024年、2025年
どんどんとこの
“それではどうする?“の世界線が
広がっていく気がしていて
多くの人がここに
普通に気がついていく気がして
文章にきちんと
一旦まとめたくなった
シェアよろしく⭐︎
愛を込めて
響月ケシー
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