今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
それぞれの人生があります
いろんな苦しみやいろんな楽しみが
あって
それぞれを一生懸命
生きていると思います。
で、その人生を
“素晴らしい人生“と
言えるでしょうか?
“素晴らしくな人生“と
言えるでしょうか?
客観的に
あの人の人生は素晴らしいとか
あの人の人生は微妙だ、とか
そうやって評価することに
どんな意味があるのでしょうか
自分は自分の人生しか
生きることができないのに
私たちにはなぜか
他人の人生をエンターテイメントのように
口に出して評価する。
もちろん行動の1つ1つから
自分が何を感じるかを
観察することはとても大切です
それは自分の材料になります
けど、時に
“自らを善人だと思い込みたい“
というと方もない飢えを解消するために
人の人生を俎上にあげて
舐めるように批評します
自分の人生に真剣になるためには
その一切を徹底的に辞めることを
どこかのタイミングで
心から誓う必要があります
皆さんはちゃんと
“自分が素晴らしいと思える人生“を
目指せていますか?
誰かに素晴らしいと言われる人生を
目指していませんか?
誰かに素晴らしくないと
言われないための人生を
目指していませんか?
その人生が
素晴らしいかどうかは
実は、誰にもわからないことなのです
不遇の連続のように見える人生でも
当の本人は病床で
“やり切った、頑張った、これでよかった“と
思えている可能性は
十分にあるはずです
一方で
誰もが羨む人生に見えても
後悔でいっぱいの可能性も
あります
それは本当に
本人にしかわからないのです
全ての人には
自分の人生を生きる
責任があります
なので、同時に
あなたはあなたの人生を生きる
責任があります
そしてそれを
“素晴らしい“と評価できるのは
この世であなたしかいないのです
誰にどんな後ろ指を指されようとも
誰にどんな偏見を持たれようとも
誰に何を言われようとも
あなたが自分で自分の人生を
そして、あなた自身を
“素晴らしい“と言い切る責任があります
そして、そんなあなたを
私は心から
応援したいと思っています
そして、それは結果として
多くの人を同時に幸せにします
なぜならそのかけがえのない自由は
伝染するからです。
自由になるのは
いつでもまずは
あなたから
愛を込めて
響月ケシー
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