今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとございます
ケシーです
私は、特に社会人時代
責任感が強い
と言われる部類の
人間だった時期があったな、と
思うのです
人から引き受けたことは
やらなきゃ、って
自分を追い詰めたし
人に頼んだことを
やってもらえなかったら
すごく腹が立った
役割にも敏感だった
親として
恋人として
上司として
社長として
友人として
あらゆるそういう事に
敏感で
気難しかった。
それは、何を隠そう
私が強烈に依存的な
人間だったからだと
思うんですね
人と関わる時
何かをお願いする時
関係性を作っていく時
”引き受けた以上は、やってね”
とか
“私たちはこういう関係だよね“
とか
そういう約束で
他人を縛り付けては
やたらに人の無責任に敏感で
勝手に失望ばかりしていた
人は裏切る、とか
誰も私の理想通りには
動かない
みんな仕事は嫌なはず
ってさ
失望や、不安を根源としている
責任感の強い私は
自分自身も
引き受けた以上は
絶対にやり遂げようと
無理に追い込んでは
自爆ばかりしていた
本当に恥ずかしい社会人
だったと思う
実際にはほとんど全てのことは
やってみないとわからないし
任せてみたものの
合ってなかったとか
やってみたものの
やれなかったとか
スイカだと思って育てたらメロンだった
イチゴだと思って育てたらトマトだった
とかとか
その時はきちんとイチゴはイチゴらしく
トマトはトマトらしく育ててやらないと
枯れてしまいます
そして、枯らせた経験や
方向転換した経験で
植える前から
見分けが付くようになってくるものだから
何が起きても全ては
自分の経験という
大切な財産になっている
それが“責任感のある“
ややこしい人間なんかは
計画を立てたから
決めたから
約束したから
そういう事で
無理やりに
自分自身や
時には他人をも
ねじ込み続ける
そして、無理に無理を重ねて
誰も幸せじゃない事
それが“責任感ある人“のせいで
世の中にたくさん転がっている
責任感は
無くて良い
責任という言葉を使って
何から逃げてる?
責任感をなくすことの
何が怖い?
責任感って
なんだと思う?
自分に嘘ついて、無理をして
責任感ばっかりで
恐怖にまみれて生きていたら
結局一番大事な時に
破綻して
迷惑かける
それなら
早々に降参して
少しのアソビを持たせておく。
それが
人にも自分にも
”本当のこと”を
見極める
やわらかな鋭さを持たせてくれる
それが
“生命への責任“としては
あるかもしれない
この世界を支配しまいと
偽の責任感から解放されて
常に自分自身であり続ける
柔らかな明晰さという
“生きてる事への責任感“で
自らを照らそう
要領が良いあの人の様に
肩のチカラを抜きましょう
出来ない事は出来ない
進まないことは、進まない
責任感で
人も、自分も
しばりつけないで
川は、水が流れていきます
雨が降れば、土にしみこみます
日が当たれば、草は伸びます
誰も責任感持って
それに取り組んでいません
不安をエネルギーとした安心は
どうか手放して
自由なこころで
あなた自身も、あの人も
許してしまえば
必ずすべては最高最善必然で
在るべきところに、着地致します
愛を込めて
響月ケシー
コメント