ケシーさ
人と会話してたり
テレビやモニターで
誰かがしゃべってるのを聞いていても
言葉が宙に浮いてる様に
感じる時があって
それに私はいっつもいっつも
すっごい気持ちが悪くなる
今言った”それ”って何を差したの?
今、”そんな感じ”って投げたのは
どれがどんな感じなの?
え?それさっきこうやって言ってたやん?
ん?なんでこれがこうなのに
それがそうなの?
自分の中で一番
自分で困る私の素養というか
気難しいところであって
寂しくなるところ
それは
私が分析的思考だとか
論理的思考だとか
記憶力だとか
そういうことじゃなくて
なんかのわたしの”質”だと思う
もう”肉”
みたいな
能力とか、タイプとかの
分類分けを超えて
もう、肌の奥に沁み込んだ
何らかの”特性”なんだと思う
表現が難しいんだけど
人の話を聞いていて
言葉がふわふわと
宙に浮いてる感じがして
耳に入ってこない時がある
これは、体感覚的に言うと
本当に、耳の穴に
言葉がスッと入らない感じ
だから、入っていかずに
私の脳の処理に届かない
って感じで
「何を言っているのかわからない」
って頭がなる
頭がほんと真っ白になる
けど、表面意識的処理では
何を言っているのかは
物理的には、わかる
そういう特有の
むず痒い体感覚になるのは
”私の世界での実態には
無い言葉(及び言葉の構造)に
ぶち当たったとき”
その人の言葉のチョイスが
私の体感覚から乖離して
けど、知覚的には”わかる”。
体感覚で解らないけど
知覚的にはわかる
という状態
その時に私は
すっごい制限されたような
気分に陥る
(私にとって)
実態のない言葉には
実態のない言葉で
返さなきゃいけないから
Aが飛んで来たらA’と返さなきゃいけない
その(私にとって)宙に浮いた会話の時は
相手の後ろにそのA’が視えるから
その通りに話すしかない
そしてそれは時間が経つと
凄まじい違和感になって
耳、というより肌に残る
嫌な感覚になって
すっごいストレスになる。
私の中で
多用されているけど
体感覚が欠落してる言葉というのは
どんどん毎年増えていってる
受け取る
あるがまま
魂
安定
覚悟
意識
この辺りは
もう解んなくなってる
けど、厳密には
実は私には解んない事だってことが
解ってきた言葉たち
ってことなんだけど
鑑定の時にさ
ケシーさん愛想良いな、優しいな
って思う人と
ケシーさん無愛想やな、怖いな
キレられた
って思う人とか
結構だいぶ違うと思うんだけど
ケシーは
これだけは言えるんだけど
絶対に、鑑定に於いては
機嫌は一定なの
すげぇ落ち込む事があっても
死ぬほどショックな事があっても
全く影響ない、ここはもう昔から
(だから1日基本2件しか予約取らない
東京では5件ぐらい一日見るけど
それも月1、2日以上は無理)
けど、会った瞬間
んー厳密には話した瞬間に
その場における
自分の機嫌が決まるんだよね。
で、終わると機嫌は戻る
機嫌悪い時は
(私には)理解できない話をされてる時
機嫌が良い時は
言ってることが概ね楽に理解できる時
けど、私が理解できない話はだいたい
本当は話してる本人も
理解できていないこと
なんだけどね
時々こうやって
自分の中の抽象的な感覚を
ちゃんと言葉にしておかないと
不安になる
たまにはブログにも書いてみる♡
響月ケシー
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