皆さまごきげんよう
ケシーです
最先端を生きる愛ある皆さま
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
もう、周りの目を気にするのは辞めよう
自分のやりたい事をやろう
けど、出来なくて
という涙に
先日出会った
私は何のために生きてきたんだろう
という彼女の言葉が
私の胸を貫いた
聡明で、まじめな彼女
とても勤勉で、背筋の伸びた彼女の
その言葉に
そんな事無いよ
そんな事は無いんだよ
という言葉が
私の胸に沸いて溢れて来て
それから数日
頭の中をずっとリフレインして
その想いが収まらない
好きに生きよう
やりたい事をやろう
この言葉はとても貴い
そして、真実であるとは
私も思う
けど、時々
その言葉に苦しくなる
役に立つ必要のあった時代を
懸命に支えてきた魂の人達
我々は”今この時点”を
作るために
頭のグループと
手のグループと
使うグループとに分かれて
トライアンドエラーを繰り返して
今この現地点を
築き上げてきた
それの何を
否定できるといえるだろうか
これからの生き方
これからの豊かさで
こういう生き方を
これからしようね、と
声高にいう事というのは
実は
”今はまだそうではない人たちに溢れたこの社会”
を前提にした泉に投げ込まれる
優しさだから美しいのだ
子供は宝だ、という言葉には
子供は弱く、最大限尊重されているわけではない
現実があるからこそ
美しい、響く言葉になる
だから、今はまだ途中
そうなれなくて
苦しくて
今まで歩んだ道を
もう怖くて振り返る事が出来ない人達も
たくさんいる
いまこの現地点での
自分の為に生きようという
ムーブメントの影では
そうなれなくて
そういうじんせいを送って来れなくて
私って何だったんだろう
という涙が
どこかで流れてる
だから
こう思おうじゃないか
その時我々は
”誰かの役に立つ必要があった”と
自分の事よりも
社会を優先する
必要があって
そして、それに素直に
従ってきた
そして、これからは
また違う生き方が
沸き起こっては来るけれども
今までのそのすべては
なんら否定されるものではないという事を
力強く真に問いたいと思う
子供に、これだけ
我慢せずに言ってやった
こんなに自由に
ふるまってやった
そういうアピールを目にするたびに
どこか
心がチクリと痛んでいた
違和感は
ここにあったんだと
気が付いた
彼女の涙に
ありがとう、と言いたいなと
思いました
愛をこめて
響月ケシー
コメント
コメント一覧 (1件)
今までの上にしか
これからは築けない。
今まで、頑張って世の中のために生きてきてくれた方々のおかげで便利で快適な暮らしが成り立つ。
置き去りにしてきたもの、取り戻し
みんなで新たな世界を構築する。
批判も非難もない。
あるのは前向きな思いだけ。