今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
今日で帰国です。寂しい!
けどホッとする気持ちもあります
エマちゃんとえいせいにやっと会える
それはとても嬉しい。
さて、表題の件ですが
子供は最初
何から何まで全て
親に甘えますよね
少し離れると泣いて
全てを親に与えてもらう事を
求める
そして、自立を迎えて
親に冷たくなったり
時には親を疎ましくさえ思い
親を否定したり、違いを嫌悪したりして
自らを立てて行く
するわけです
そして
最終的には
親を理解し、子としての自律した精神を
理解してもらう事を超えて
違いを認めて共存できる状況に
至るわけで
こうなると関係は非常に調和的で
安定的なものとなるわけです
自立の状態は
依存状態の自分を省みた時に起きて
共存の状態は
自立の状態を省みたときに
起きるわけです
なので、全て必要なプロセスであり
飛ばして共存することは
基本的にはあり得ないと
思うんですね
あらゆる関係性において
それは
親と子の他にも
大人になってからも
パートナー同士
師弟関係
あるいは
“考えや思想“に対する姿勢でも
このプロセスを経るのだと
思っています
依存状態の時は
盲目状態で、やることなす事を
崇拝するようになります
パートナーだと
甘い恋愛期はそうだと言えるし
師弟関係でもそうです
あるいは“とある考え“や
“とある方法論“などにも
同じ状況が起こり得ます
これしかない!
のような状態
けど、次第に嫌なところが
目立ってきたりとか
気がつかないうちに
苦しみが伴ってきた時に
ある意味での“反発“の時期がきます
パートナーに対して
“この人でいいのかな?“という思いが
芽生える
崇拝していた人に対して
“やっぱりこの人違うんではないか?“
の様な思い
取り組んできたことに対して
“なんでこんな苦しいんだろう
これは間違っていたんだ“
みたいな感じですね
大体はそこでトラブルになって
終焉を迎えるのですが
本当は“共存“が1番良いわけです
いいところは取り入れ
難しいところは自分と対話して
(あるいは相手とも対話して)
調和した状態を
一緒に考えていく
この“自立“で止まる人が
とても多いです
その次のステップには
“共存“という非常に理想的な状態が
待っているのにも関わらず
この“自立“の時に訪れる
自尊心の幻との戦いに
敗れてしまうのです
私が間違っていたんだ
相手が間違っていたんだ
そもそも間違っていたんだ
そういう想いに負けてしまい
引き換えに“自分は正しかった“を
勝ち取ってしまうのです
この時の“勝ち負け“
“正しい悪い“の戦いから
降りるために大切なことが
1つだけあります
それは、自分との対話です
自分はどうしたかった?
何を求めていた?
何を得た?
何が嬉しかった?
何が苦しかった?
丁寧に紐解いていくと
共存への道がひらけてきます
共存は文字通り
共にあれるということ
自律を拗らせて
塗りつぶしてしまった地図は
もう足を踏み入れられなくなるけれども
共存の地図は
解像度も高く
より深く理解できて
自在に付き合うことができます
その鍵となるのは常に
“自分の理解、解釈、知恵“の方で
感情は常に自立を暴走させる方に
働きます
そして、その感情は
理解と解釈によってしか
支配できないのです。
愛を込めて
丁寧に自分と向き合って
自立の世界から
共存の世界へと。
響月ケシー