今日も生きてる皆様
本日もお読みくださり
本当にありがとうございます
ケシーです
今日でバリも終わりです

バリは本当に大好きです
私は今生に1番強い影響を与えている前世が
インドネシアのメディスンマン(治療師)の
とても大きなグループのグルだった時代
自らの嫉妬の炎に負けてしまい
家族も含めた多くの人を不幸にして
死に至らしめもしたようですが
同時に多くの人も助けたらしいです
(結構重たいカルマみたいです)
今生は、門下生や家族を
幸せにしてみたいんだと思います
そのためにどこかの誰かの
優しい心と母性とか責任感を
貸してもらったような
そんな気がします
嫉妬の心や劣等感は
私が毎日戦っているものです
前世から持ち込んできたんだな、と
聞くととても納得しました
そんなインドネシアなので
とてもシンパシーを感じます
で、バリではみんな毎日
お祈りをします
その時にお香とお花を使った
お祈りをします
そして、祈り終わった御供物は
門の先に置いたり
耳の後ろに花をつけたりして
日々を送ります
なので、門の前や
あらゆる建物の入り口に
お供物が置いてあります

それを踏んづけてしまうんですね
ハナさんも気づかずに踏んづけちゃって
日本人の感覚だと
神様へのお供物を踏んだ!と
チリっと罪悪感が沸くと思うのですが
その時すかさずガイドのかおるさんが
「お祈りが終わって備えた時点で
それは全て神様のもとに行ってるので
物にはなんの意味もないので
全然心配しなくて大丈夫ですよ」
と教えてくれたのです
ああ、本質だな、って思って。
お金にしても
パートナーにしても
子供にしても
仕事や名声にしても
それは“気持ち“の残骸でしかないし
“解釈“のきっかけでしかない
それを得てどんな気持ちになったか
それがあることで
どんな思いで毎日を生きるか
そこに全てがかかってる
ハリウッド女優が
でかい水晶の上でヨガしていたとしても
温かい日のさす部屋で
赤ん坊をゆったりと抱いていたとしても
コンビニバイトの帰りに
たまに贅沢にラーメンを食べたとしても
出勤前に少し時間のゆとりを作って
コーヒータイムを持ったとしても
常に
そこに“幸せ“を宿らせられるかどうかは
自分次第なんだ
でかい水晶がすごいんじゃない
赤ん坊がすごいんじゃない
贅沢なラーメンがすごいんじゃない
それを選んで
幸福だと感じるあなたの
“心の働き“
そしてそれを
“そうなのだ“と腑に落とした
あなたの解釈が
この世界の全て
物や外の世界に
主導権を渡さないで
常に、自分の“なか“に
全ての原因を求めていくと
やがてどんな神でも与えられない導きを
自分にもたらしてあげることができる
どこにも行かず
何も学ばずにして
あなたは常に
最善の知恵の中にいる
愛を込めて
響月ケシー